英領香港の地図切手
香港地図

香港島  18世紀頃の古地図  九龍半島

香 港 島            九龍半島
1984/6/21 発行

地下鉄路線地図

1979/10/1 発行

ホンコン(香港)は、漢の時代、香港全土で香木が盛んに栽培され、中国本土の広州方面へ向けて出荷されていた香木の積み出し港でした。香木の香り漂う港は、いつしか「香る港」(ヒョンゴン)と呼ばれ、それが香港全体の呼び名となり、その音を綴ったのが、「Hong Kong」となったと言われています。

19世紀のイギリスと香港の貿易収支は紅茶や絹、陶磁器などの中国産品を大量に買い付け、その代価を金銀で支払っていたため、イギリスの完全な輸入超過でした。膨らむ一方の貿易赤字を解消しようとしたイギリスは、アヘンの密貿易にその活路を求め、当時インドに興した東インド会社でケシの実を大量に栽培し、アヘンに加工、中国への密売を開始。アヘンを禁止していた中国は、この密輸入を防ぐため林則除を派遣、アヘン商人を説得、商人たちから1425トンのアヘンを没収し海に流したため、これが原因となり、イギリスの報復という形でアヘン戦争(1840-42)が始まりました。香港島はアヘン戦争中の1841年、英に占領され自由港宣言がなされ、1842年イギリスの勝利となり、南京条約が締結され中国・広州から英国へ割譲されました。アロー戦争(1856-60)での北京条約(1860)で「九龍」とストーンカッターズ島などの230余の島々を含めて英直轄植民地となり、1898年には新界を租借し九広鉄道の権利を英国が取得しました。植民地になった香港は、世界各国との貿易を活発に行い自由貿易港として着実に発展。そのため香港は本土から多くの人々が流入し、1850年頃3万3千人が、1913年には85万人、1840年には160万人という人口にふくれあがりました。太平洋戦争中の1941-45年は大日本帝国が占領して人口が急減しましたが、終戦後、英植民地に戻って、1950年200万人、1949年に中国が毛沢東ひきいる共産国となってからは難民の流入もあって1990年には580万人となりました。

1997年6月30日、一世紀半に渡る植民地「香港」の歴史に幕が下り、中国へ返還されました。これまで香港島と九龍半島南部は中国から永久割譲された土地としてイギリスの「領土」となっていましたが、九龍半島北部の新界地区と235の島々は1898年から「99年間の租借」でした。1984/12に、当時のイギリス首相と中国の主席との間で租借期限の1997/6/30に、永久割譲された地域を含めた香港全域を一括返還し、返還後50年間は現在の資本主義体制を維持することが合意文書で取り交わされていました。

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